空飛ぶタイヤ 上下合本版 池井戸潤 講談社

とにかく長かった。面白かったけれども。きっと同じ作者の作品を3連続で読んだのが悪かったのだろう。最後はこういう展開になるというのを分かっていて、最後までじりじりしながら読むという展開でした。前回に2作品よりも、作者の凄さがよくわかる作品だったと思う。話の構成とかもだけれども、現実で起こりえそうな事態を、事細かに目に浮かぶように書き上げるその力量がものすごいということが、(前回の2冊の本の感想で、ネタがごろごろあるのをそのまま書いているみたいで、という話を書いていたが)この細部まで物語を立ち上げられる筆力が尋常ではないということがよく証明される作品でした。現実もそういうことあるよな、と思いながら読むから面白いのだけれども、その分、長く感じたのだろう。主人公の明けるともわからない暗闇を共に歩くような感じで悪くはないのだが。

半分以上、溜めて溜めて書き続けて、最後に予想通りの展開で物語切り替わってゆくところが面白いのではあるのだけれども、個人的には、被害者の夫との交流とか、もう少し読みたかったなと思う。後、一人だけ沢田の人物描写だけは少し物語りに合わせる様に都合よく書かれているような気がして物足りなかった。きっとサラリーマンの組織の論理での苦悩とか、自分の夢を叶える為の組織内での取引とか書きたかったのだと思うけれど、栄転先で起こる事態を想像できないような人物ではないだろう、と読みながら悪態?をついてしまいました。沢田のキャラクターであれば、必ずその先の事態を想定できたはず、と思うのだが、急に純情なお兄さんみたいになってしまって、びっくりしてしまいました。

新装版 銀行総務特命 池井戸潤 講談社

池井戸作品、三作品を続けて読んでいる。その第2弾。先の「新装版 不祥事」と比較すると、内容が重い、暗い、救いがない。最初は軽い話から始まって、段々出口のないリアルな嫌な話が詰まっているという感じ。自分が銀行に勤めていたからかも知れないが、最初は面白く、いや、最後まで面白く読みはしたが、読んでいて居た堪れなくなるような気分で、読後感が悪かった。お話として読めれば面白いのだろうけれど、以外にリアル。なので、いつも池井戸作品を読んでいて、これ作品にしていいのかな。これで売れていいのかな。と少し思ってしまう気持ちが、この作品では更に強くなった。作品を書くのは簡単なことではないのは勿論理解しているつもりだけれども、話の殆どの骨格が、ほぼ現実に転がっているリアルだとすると、それをネタにしていいのかな、と少し思ってしまう、、、。きっと銀行員だったら誰もが経験しているような話とか、聞いたような話とかばかりなのだと思う。リアルがこうならば、わざわざ話を読んで暗くなる必要はないかも。

新装版 不祥事 池井戸潤 講談社

 池井戸作品は面白い。多分それは銀行で起こる現実が面白いからだ。銀行に勤めた人ならば、そこで目にしたことをそのまま作品にしたのではないかと思う。フィクションだから守秘義務があっても事実は書いていないし、でもネタは現実に転がっているという感じ。池井戸作品は、現実を再現する力がすごくて、話の構成が面白いのだと思う。

 現実のネタをフィクションとして使い、そこに物語として、出世競争や、理想と現実、人間性と金銭が絡む非道さとか、色々面白い味付けがされて作品が出来上がってきている。物語のつくりがそのオリジナルのアイディアの部分のままという感じの部分もある。市井の人は正直でまっすぐで、銀行員やエリートは偉そうにしているけれど、人間性がないという構図が多いのが気になる。なんとなく粗いといったイメージもあるが、面白く読めた。不祥事の話だから興味本位で、まだ銀行ネタでも、酷く内容が重くないから気楽に読めた。

飛魂 多和田葉子 講談社文芸文庫

表題の「飛魂」と著者から読者へのメッセージ、
沼野充義氏の解説を読了。

ここのところ文学作品がなかなか読めなかった為、出だしから、言葉の密度にてこずる。最近は、ビジネス本を何冊か並行読みしていたり、日常生活もばたばたと、心がばらばらになったような生活をしているので、集中するのに時間がかかる。

著者の作品を読んで一度、解説を読んでもう一度、全く別の角度からもう一度、楽しむ。素晴らしい解説だ。

わかってしまうことが、必ずしも作品を読むことに良いとは限らないが、知らなくって終わってしまうことの勿体無さを考えると、この作品のこの解説は、読む意義がある。作品を読み、自分でその世界を充分に味わってからの解説を読んだ方が、作品世界をより深く味わえると思うが、大体、自分で感じたことは、解説に抱合されている。

読んで体験する、ということと、解説を読んで理解する、というのは根本的に違うことであっても、だ。

不思議な世界だが、徹底的に言語を意識していることで、最近ありがちな、変な空想物語みたいになっていない。話の流れに何か意味があるのか、と考えてしまうが、同時に、言葉の連なりで完成された文章自体に意義があるから、芸術作品として成り立つのだろうなと思う。

今の自分の生活みたいなところからは、到底生まれないものなのだと、ただただ、同じ人間なのに、作者の歩んでいる道が、全然違うはるかかなたのもので、なんだか呆然とするばかりだ。

大人になってからも、いや、昔からも、文学作品や、芸術が大好きであるが、いつもそういう作品に意味があるのか、現実の社会に意義を持つことができるのか、ということを考えてばかりいた。そういう意味で、この濃密な文体は、そういった現実と対峙しても、生き残っていけるようなものなのであろう。

そのようなことにとても悩んだ時期もあったが、海外生活して、文化というのは、人間のアイデンティティの根幹をなすものだ、ということが、心底理解できたので、この多言語で活躍する作家の強靭さには、驚くばかりである。

いや、文化という言語なのかな。完全なる創作の世界で、言語への尽きない興味、からなされる作者独自の世界、なかなかこんなすごい作品を書ける作家は、最近いないのではないだろうか。

蜂蜜と遠雷 恩田陸 幻冬舎

直木賞。
確かに直木賞、という感じでした。
読んでいる間は夢中になりましたが、漫画みたいな描写、現実にはいなさそうな登場人物(風間塵)、でもぐいぐい読み進める物語の力があるという感じでした。これは、批判に聞こえるかもしれないが、批判ではありません。ベースはあるとはいえ、これだけの架空のものを書き上げる力、胆力が、ただただすごいと思う。

あまりにも天才達の作品なので、読んでいる間は羨望の気持ちで読み進めるが(表現するのが好きな子供達はものすごく夢中になりそう)読み終わると忘れてしまった。それは、多分こちらの読み手年齢のせいで、自分の残りの人生に関係がない世界だと思うと、記憶に段々残らなくなっていく。なので、若い方が読むと、何か強烈に一つのことに打ち込みたいとか、特別な存在になりたい、とか、なにかしらの影響を受けるのかもしれない。

今の年齢の自分に一番落ち着いて読めるのは、やはり、高島明石の描写あたりだろうか。哀しい。若さが輝いて見えるというのは、本当です。

普通に物語の人物造詣として個人的に好きだったのは、栄伝亜夜さんでした。この人物は、もしかして作者に似ているのかななどと、想像しました。一番いわゆるこういう作品で書かれるであろうプロトタイプから逃れられた人物描写だったと思う。一件プロトタイプらしくはあるのだけれども、何か個性を感じられました。

ただ、一番メインになりそうな風間塵には、正直全く感情移入ができませんでした。残念。彼は実は、人物ではなく、コンテストに舞う音楽の妖精(苦笑)とかだったのではないだろうか。(皮肉です。)

作者が音楽が好きな方と聞いているので、コンクールの選曲にかなり力を入れているとおもうので、もう一度、曲を聴きながら、読んでみてもいいかなと思います。

が、後半は、話は読まないで音楽だけ聴くかもしれません。後半よりは、前半が私には面白かったです。音楽という芸術を、文章で表現するというのは、本当に空恐ろしい試みだと思う。

永い言い訳 西川美和 文藝春秋

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西山美和さんの作品。視点がいつも現実的で痛いぐらいだ。どちらかというと、あまり見たくないものまで見なければならなくなるような作品が多くて、読むといつも少し落ち込む。 今回の作品「永い言い訳」も、素晴らしく上手くて驚きつつ、主人公に全く共感できず、この程度の家族ごっこで、今まで感じられなかった妻への気持ちを気づけるのかと思うと、そこがまた現実的すぎて、主人公のどこか浅はかな感じがまた更に助長されて、なんだか救われるはずの終わりで、またどっと疲れがでた。 この作品を映画化すると、一体どうなるのだろう。作品、特に主人公を演じる本木雅弘さんの演技がとにかく気になって仕方がないので、いつか時間をみて、作品鑑賞をしてみようと思う。