ぞうのババール こどものころのおはなし ジャン・ド・ブリュノフ 評論社

 最近、絵本を読みながら、つい余計なことを色々考えてしまいます。「ぞうのババール こどものころのおはなし」を開いたときは、絵を見た瞬間に、「ああ懐かしい」と思い、思わず手をとり、読み聞かせようと思ったのですが、読みながら内容をあまり覚えていなかったことに気がつきました。そして、読みながら数々の突っ込みを心の中でいれ、半ば動揺しながら、それを隠しながら読み聞かせを続行。
 まず、始まったわずかのページでおかあさんが「やられた」(かりゅうどにうたれた!)時点で、「え、こんな衝撃的なはじまりだったか」と驚き、仲良しだけど「ほしいものは なんでも かってもらえる」大がねもちのおばあさんは、一体何のメタファーなんだと、勝手に斜に構えた反応をしてしまい、「きれいなふくを かってやった」いとこと結婚するって、何、と、これまた複雑な気分になり、さらにまた王様が、よりにもよってババールのもどる直前でどくきのこをたべて死んでしまうなんて、「何、何、何」の連続でした。
 結婚式にはてっきり私は大がねもちのおばあさんが招待されるのかと思ったのですが、それはなく、人間の格好をした、人間の洋服で着飾ったババールが、あたらしいぞうの王様になるのでした。大きな街にいって洋服の着方を学び、マナーを学び、教養を身につけて、自国にかえったら即王様になるのか。と思うと、なんだかなんとなく自国のよさがなんだか軽く見られるような違和感も感じてしまったりしたのでした。
 絵本って割りとロングセラーのものも多いので、読んでいると、たまにとても古い道徳観や、家族観を反映しているものが散見されて、ついうっかり手にとってびっくり、と思ってしまうこともあるのですが、ババールの絵とかはとっても懐かくおもって手にとったので、こんな話だったのかと愕然とました。なんか絵本にこうやってこっそり、なんと言うか政治的な要素を(これはたぶん、植民地の話なのでしょう。)盛り込むのはやめて欲しいと思ってしまったのでした。なんか大人になるって、複雑です。

永い言い訳 西川美和 文藝春秋

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西山美和さんの作品。視点がいつも現実的で痛いぐらいだ。どちらかというと、あまり見たくないものまで見なければならなくなるような作品が多くて、読むといつも少し落ち込む。 今回の作品「永い言い訳」も、素晴らしく上手くて驚きつつ、主人公に全く共感できず、この程度の家族ごっこで、今まで感じられなかった妻への気持ちを気づけるのかと思うと、そこがまた現実的すぎて、主人公のどこか浅はかな感じがまた更に助長されて、なんだか救われるはずの終わりで、またどっと疲れがでた。 この作品を映画化すると、一体どうなるのだろう。作品、特に主人公を演じる本木雅弘さんの演技がとにかく気になって仕方がないので、いつか時間をみて、作品鑑賞をしてみようと思う。