飛魂 多和田葉子 講談社文芸文庫

表題の「飛魂」と著者から読者へのメッセージ、
沼野充義氏の解説を読了。

ここのところ文学作品がなかなか読めなかった為、出だしから、言葉の密度にてこずる。最近は、ビジネス本を何冊か並行読みしていたり、日常生活もばたばたと、心がばらばらになったような生活をしているので、集中するのに時間がかかる。

著者の作品を読んで一度、解説を読んでもう一度、全く別の角度からもう一度、楽しむ。素晴らしい解説だ。

わかってしまうことが、必ずしも作品を読むことに良いとは限らないが、知らなくって終わってしまうことの勿体無さを考えると、この作品のこの解説は、読む意義がある。作品を読み、自分でその世界を充分に味わってからの解説を読んだ方が、作品世界をより深く味わえると思うが、大体、自分で感じたことは、解説に抱合されている。

読んで体験する、ということと、解説を読んで理解する、というのは根本的に違うことであっても、だ。

不思議な世界だが、徹底的に言語を意識していることで、最近ありがちな、変な空想物語みたいになっていない。話の流れに何か意味があるのか、と考えてしまうが、同時に、言葉の連なりで完成された文章自体に意義があるから、芸術作品として成り立つのだろうなと思う。

今の自分の生活みたいなところからは、到底生まれないものなのだと、ただただ、同じ人間なのに、作者の歩んでいる道が、全然違うはるかかなたのもので、なんだか呆然とするばかりだ。

大人になってからも、いや、昔からも、文学作品や、芸術が大好きであるが、いつもそういう作品に意味があるのか、現実の社会に意義を持つことができるのか、ということを考えてばかりいた。そういう意味で、この濃密な文体は、そういった現実と対峙しても、生き残っていけるようなものなのであろう。

そのようなことにとても悩んだ時期もあったが、海外生活して、文化というのは、人間のアイデンティティの根幹をなすものだ、ということが、心底理解できたので、この多言語で活躍する作家の強靭さには、驚くばかりである。

いや、文化という言語なのかな。完全なる創作の世界で、言語への尽きない興味、からなされる作者独自の世界、なかなかこんなすごい作品を書ける作家は、最近いないのではないだろうか。